信じて任せて待ってはいけない
あえて議論になるテーマを選んでいます。 文責 佐野和規
不登校の子供へのカウンセリングや対人支援の有力な考え方の中に「本人が動き出すまで待つ」というものがあります。
その考え方に立てば「いろいろ働きかけることはマイナスにしかならない」となり、親が本人に対して焦って働きかけるからかえってよくない、本人が動き出すのを信じて任せて待つことでいつか本人が自ら立ち直っていくという発想をします。
でも、この考え方で、不登校や引きこもり本人に対応すると、大きな過ちを招くことがあります。
特に、本人の問題の背景に発達障害がある場合、どんなに待っていても、本人が動き出さないことがあります。
このようなケースのいくつかが、引きこもりを長期化させ、親が80歳代本人50歳代になってまだ引きこもっているという、いわゆる8050問題になるわけです。
今50代の引きこもりの人たちが不登校や引きこもりになり始めた1990年代は、心ブーム、カウンセリングブームが起き、その頃のカウンセリング理論が、傾聴や沈黙を重視したこともあって、本人にいたずらに働きかけないで待つ方がよいという誤解も生みました。
確かに、不登校のことで激しいバトルになる親子もいます。そんなバトルをするぐらいなら、信じて待つようにした方がよいですし、この考え方に救われた保護者もいたでしょう。
でも、信じて待っていたつもりが、いつのまにか、本人を放置しているだけということはないでしょうか。
カウンセリングや支援の場において、正解はその中間にあることがほとんどです。信じて任せるのでもなく、激しく働きかけるのではなく、ある程度、家族や支援者が、対話をしかけたり、肯定的関わりをしたりする中で、時々見守る。そして、しばらく見守ったら、また次の働きかけをするというバランス感覚が大切なのではないでしょうか。
「信じて任せて待つ」という美辞麗句に依存して、本人をただ放任、放置しているだけのことはありませんか。
大切なのは、適度に関わり続けることです。